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自己嫌悪

 

今日はつくづく自分に嫌気がさした。

 

朝から忙しくて、しかもトラブル続きで

全く落ち着かない一日やった…

 

 

まずは、午前中3時間連続授業。

そのあとテスト返しに他クラスへ。

この時期はテスト後の短縮授業期間やから、昼から生徒は放課。

けど成績つけるためにテスト返却しなあかんので、授業のないクラスにテストを返すためだけに、授業4コマのあとテスト返却の時間が20分設けられてる。ここの時間覚えといとくださいね。

 

 

さてさて。

あるクラスにテスト返却へ。三時間授業終えてへとへと。

返そうとするけど先約が来てた。音楽の先生。

待てども待てどもおわらん。

みたら、生徒が採点ミスの訂正に30人近くも並んでる。

オイオイ。どんだけミスしとんねん…

 

やっと終わる。返却。ミスなし。訂正なし。よし。

 

 

自分のクラスのショートホームルームに向かう。

あれ?まだテスト返しに別の先生がうちのクラスに来てる。(私も相当待たされて遅れたのになんで?)

 

やっと終わる。「遅くなってすみません」の一言もなく、「欠席者のテスト返却おねがいしまーす。」と私に手渡して颯爽とその先生は帰ってった。

 

 

いやいや、一言謝れよ。

ま、前から失礼な後輩で有名だから、しゃーない。

 

やっと終わってお昼。12:15に授業がおわったのにショートホームルームがおわったのは13:10。なんでやねん。テスト返すのにそんな時間いらんやろ。あー。。

 

 

で、今日は4時から会議だから

それまでに成績つけないと。

と思ってとりあえずお昼ご飯をたべにいって。

14:10ごろ戻ってきた。すると保健室から電話。

 

「先生のクラスの子が、部活辞めるって言いに行ったのに顧問の先生にもう一度考えろって言われて泣いてます」

 

んもーーー!!!

 

この顧問、朝すれ違った時に

「〇〇先生(わたしのこと)!

先生のクラスの△△、全然あかんわ。どうしよ。」

と言われたから

「本人も部活はずっと辞めたいと言ってたし、課題も多いし両親の離婚で父子家庭になって家事もしなきゃいけないし、部活が辛いと言ってたな…」と思って

「あー。もう、先生、辞めさしたってください。お願いします。」

と言った。そしたら

 

「そうですか。わかりました。」

 

 

そう言うてたのに。

何引き止めてんねん。

ほんでなんでまた担任に電話…

高校生やろ!!

てか保健室もさ、いまの時期は成績つけなあかんからピリピリしてんのわからんのか…

 

と思いながら保健室へ駆けつける。

「せんせぇ…部活辞めるって勇気出して伝えたのに、また考えてこいって引き止められました」

と女子生徒涙。

 

 

もうええわ。私が電話する。

顧問の先生に電話。ちなみにベテランの大御所(62歳)

 

 

「先生。朝言ってた話と違いますよ。どないなってんですか。」

 

 

 

話をつけた。

 

 

その子は無事部活を辞められることになった。

 

辞めたあと、体育の授業で、どんな目で見られるか不安だ、と言う生徒。

「そんなん気にせんくていい。やめることがいつもダメなわけじゃない。やって違うなら辞めて次を探せばいい。何度も勇気を出してやめると言いに行ったのに、やめさせてもらえなくてしんどかったと思う。やっと辞めれたから好きなようにしなさい。人にどう思われるか気にしてたら生きていけない。」と伝えた。

 

 

あーーー!!成績つけなあかんのに間に合わん!!

走る。

 

 

 

すると同じ教科の小人さん(仕事さんおじいちゃん先生。やる気なし。いつもすぐ消える。)が来た。

 

 

「成績どないなってんの?」

 

 

いや、わかっとんねん。

あたしかてつけたいねん成績。

でも今まで走り回っとってんや!!!

 

 

「四時までにつけてお見せします。」

(私の担任するクラスは一年。この学年にいる国語の教師は私だけ。

学校にもよるけど、うちの学年は私が学年の国語の成績を取りまとめている。うちの学年に授業に来てくれてる他の先生にお願いして、テストの点数や漢字テストの点数はあらかじめファイルに入力してもらって、それをもとに私が成績をだす。)

 

 

マッハ。

考査点確認。要素になる点数(提出物の点数やら漢字の点数)をエクセルで合計する。

309人の成績。大量さ。間違わないかソワソワ。

 

 

 

 

 

なんとか間に合った!!

四時の会議に滑り込む。

会議終わる。

成績会議資料つくらなぁぁぁ

(教科主任なのでやること多い)

 

 

 

 

 

19:00ごろ終了。。。

 

 

 

疲れたぁーーーー!

 

 

 

ここ数日はクラスの不登校の子の

補習があって、そのために計画をたてて

各教科の先生にお願いに走り、

なのに昨日授業に来れなくて休んでしまって

さらに進級の危機が迫り

朝からお母さんに来れるか連絡したり

こっちもソワソワ。

補充の時間割も作り、各教科の先生に依頼。

毎日その子も残って補習を受ける。

今日なんて6時半までやってた。えらいな。

本人を励ます。労う。

 

わたしだって労われたい…

 

まぁ疲れたわ。

 

けど今日も、生徒のために走った。意見した。

そんな自分を少しは褒めてあげよ…

 

 

 

 

 

けどほんまに昔から

自分に余裕がなくなると、

すぐにそれが表にでる。顔に出る。

昔からすぐに追い込まれるタイプで

ますます仕事が

追いつかない。疲れる。焦る。

間に合わない。。

 

 

他人に自分のペースを乱されると余計にきつい。

そうして追い込まれたら卑屈な自分が顔を出す。

 

イライラする→性格がひん曲がる→自己嫌悪→さらにイライラ

の負の連鎖。

 

こんな時は人の幸せ話を聞いてもイラつく。

そんな自分がまた嫌になる…

めんどくさいなー、自分。笑

もっと楽に生き〜や〜。。

 

今日は甘いもの食べて寝る。

 

会議での一コマ

 

今日は午前休をもらい、めいっぱい寝てから出勤した。

どうしても朝マックが食べたかったから、というのと、めいっぱい朝寝たかったからというのが休暇の理由。

週の半ばの水曜日か木曜日あたりが一番疲れがたまる。

だから先手を打つ。休める時は休む。

 

あとは時々自分にご褒美を出す。

1日ひとつはご褒美。

お気に入りのジンジャーエールでも美味しいパン屋のパンでも、とにかくひとつはご褒美。

自分で自分の機嫌を取ることが1番大事だと思うから。

 

そんな今日は

十分な睡眠と朝マック

これがご褒美の予定だった。

 

 

予定通り爆睡し、起床。

8時まで眠れるだけで幸せを感じられるのは、毎朝6時に起きて7時に家を出る暮らしをしてるからだと思う。

 

洗濯をささっと済ましてゆっくり化粧して、着替えをして家を出た。

休みがちな女の子が今日来れるか不安だったから、保護者にさっと連絡。

予想が当たって来れない様子。。

そんなこんなでモタモタしてだらだらしてしまった。

 

 

 

朝マックは11:00までだと思ってた自分を殴りたい。

 

 

 

 

朝マックは10:30までだった。

その時の時刻は10:45。

 

 

 

朝マックは次回にお預けが確定した。

 

美味しい朝ごはんがどうしても食べたい。

 

 

と思って代わりにドトールビーフシチューサンドを食べた。

 

 

けどあれは見た目を盛りすぎ。

イメージ図より美味しさ5割減のサンドが出てきた。残念。

でも店員の男の子がイケメン。全てオーケー。

 

 

そのあと昼から出勤。

今日は2時から会議。

 

いつも思うけど

会議でほとんど日本の人は意見をしない。

 

ありゃなんで?

 

興味ないのか、どうでもいいのか、何も思わないのか。

それならそれで「特に意見はありません」くらい言えばいいのになあ。

 

いつも私ばかり会議で意見してる。

建設的な話し合いがしたいのに。

生ぬるい空気感。

あのモタモタした感じがどうも苦手。

 

あと、説明下手な人も多い。

話に主語がないからわかりにくいし、聞き取りづらい。単語の使い方も違う。

いや自分も違う時あるけど。

 

「この内容で相手に伝わるか」

「相手はわかりやすいか」

確認しながら話す習慣、訓練をすればできるはず。

国語を教えてるんだから、その力をつけさせるように指導しなきゃだな。

あと自分もわかりやすく話すことを心がけよう。

 

私が思う伝わりやすい話のポイントは

「主語がはっきりしているか」

「述語がはっきりしているか」

「目的がはっきりしているか」

「自分単語(自分にしかわからない単語)を事前に説明してから使っているか」

(たとえばポチ…これはうちの犬で、とか事前に言う必要がある。)

「一文をできる限り長たらしくせず、簡潔にしているか(〜で、〜で、と一文を繋げまくる人の話はわかりにくい)」

 

 

自分の思うことを簡潔に、わかりやすく伝えて、建設的な話し合いができる。そんな会議がしたいな。

 

 

とにかく、もっと自分の意見を伝える方がいいと思う。ないならないで、「特に異議はありません」

そんな会議の風景が当たり前の日本になることを願う。

 

 

 

日本人は「やめる練習」がたりてない

 

衝撃的な本に出合った。

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「忍耐強く続ける事」

「我慢すること」

「石の上にも三年」

こういった考えがまだ根強い日本人にとって

この本は目から鱗…。

 

正しさってなに?

国や民族によりそれはさまざまで

「間違ってる!!ぷん!!」

 

って怒ることがいかに無駄かと思わされる。

 

マレーシアで子育てする方の本なんやけど

「マレーシアでは怒ってる人が損をする」

ってのがすごくグサリと刺さる。

 

よくぷんぷんイライラしがちやから

気をつけよ(`・ω・´)

 

 

あとは、

 

「教育の大事な役割は、人生の目的を見出してあげる事」

と書いてあった。

「自分自身と向き合わず、なんとなく生きてきた代償は大きい。」とも書いてた。

 

 

なるほどなぁ

 

なんとなく「世間の目」とか「親の目」

を気にして

自分の本心に向き合わずに

我慢して過ごす人も多い気がする。

 

 

人生の目的、とか言うと堅苦しいけど

要するに1番自分が自分らしくいられる生き方をしたいな(╹◡╹)

 

 

もっとポジティブに、

前向きにいきたいな〜

 

とにかくコロナが明けたら

旅行!留学!!!

ぜっったいやる!!

 

 

映画「バーレスク」

バーレスクといえば、

クリスティーアギレラ出演の、

あのバーレスク

 

 

 

と思いきや

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こんなバーレスクもあった!!

 

自分に自信のない女性

厭世観の強い人にぜひ観て欲しい!!

 

「女性はみんな、どんな体型でも美しい」

着飾って美しくなる姿を見てると

どんな体型か、ではなく

どんな表情で、メイクで、服でいるのか

それがその人の魅力を引き出すんだなと感じさせられる。

 

 

「アイ フィール プリティ」

プラダを着た悪魔

もすごく好きな映画。

 

こういう映画って

自信を失いかけた女性にぴったりよねー…

 

 

 

ときどき

ネガティブなことを言ってくる人

ネガティブな考え方の人

がいたり

過去に言われたネガティブな事

を思い出したりして

 

前向きな人生が遠のく。

 

でも、それは本当にもったいない!

 

時々、自分のことを

「オバサン」呼ばわりする人

私達「オバサン」だもんねって言ってくる人がいるけど

やめてほしい。笑

 

「オバサン」て言い出した瞬間から

オバサンになるし

歳を重ねてマイナス方向にいく人生なんて

まっぴら御免。

 

 

好きなアイドルや俳優の話をしてて

「こんな人に出会いたいな〜」

って言っても

「現実にこんな人、いるわけないですよ」

って釘を刺す人。

 

なんなんやろ??

ネガティブな言葉で釘を刺されると

自分の人生の扉や可能性まで

閉ざされた気がする。

 

「できるわけない」

「現実ではあり得ない」

そんな思考がそんな現実を

引き寄せる。

 

 

「自分の顔が嫌い」

「可愛い人はいいなぁ、すぐ結婚できて」

 

っていう知り合いがいるけど

そう思う中身の方が可愛くないと思ってしまう。

 

 

可愛いから結婚出来るんじゃなくて

自分を可愛いと思って自信をもつところからじゃない?

それに

可愛いからモテる、人より可愛いから愛される

ってのがそもそも違う気がする。

 

日本は謙遜する人多いけど

わたしは自分が好きだし

自分自身であることに満足して生きたい。

自分を認めて肯定してあげたいなー。

 

 

テレビで見た「偉人伝」

昨日aikoがテレビに出てた。

この人、めちゃくちゃおもろいな、と思った。

 

まず、めっちゃフランク。全然えらそぶっていない。

ファンを町で見かけたら声をかけるし、

相談事をされて朝方まで駅の階段で話し込んでいたこともあると。

 

おもしろいなあ、aiko

そして、夢に一直線。

あの椎名林檎と同じコンテストに出場し、優勝したらしい。

三歳のときにすでに「歌手になりたい」と思っていたらしい。

ずっと歌が好きだったと。

名曲「カブトムシ」「ボーイフレンド」の誕生秘話も面白かった。

固い殻に閉じこもって自分の想いを隠しているけど、裏返せば柔らかくて傷つきやすい。

そんな姿が恋をする自分と重なったと。

 

・・おもしろい!!

すごい表現力。重ね合わせる対象がまさかの、カブトムシ。

 

 

そして「テトラポットのぼって~~」で有名な「ボーイフレンド」。

珍しいワードを使って歌を書きたいと思っていたところ、

ぱらぱらとノートをめくっていたら「テトラポット」が出てきた。

そしてそこから歌を書いた・・・。

 

自分の道を究めている人の話を聞くのは面白い。

自信をもって自分の人生を歩む人の話は参考になる。

 

そういえば、この前渡辺直美さんも林先生のインタビュー(対談?)を受けていたけど

渡辺直美さんの話も本当に興味深かった。

 

日本のバラエティ、エンターテインメント、お笑いの世界での頂点は

「自分の番組を持つこと。」

 

たとえばタモリさんや明石家さんまさんのように、自分の冠番組を持つことが頂点。

そんなときに渡辺直美さんも出演していた「笑っていいとも!」が番組終了に。

さらにもう一つ別のレギュラー出演していた番組も終了に。

 

「そういう大御所さんの番組に出て、大船に乗っていた自分だったけど、それがなくなる。そうなったとき、自分がこのまま日本のバラエティでやっていくのに”武器”が足りない。怖いなと思ったんです。だから渡米を決めた。」

 

マネージャーには「帰ってきたら自分の席なくなってるよ」と言われた。

でもそれよりも、このまま日本で過ごすことに危機感を感じた。

 

 

そうして渡米。エンターテイメントが集結する国、アメリカへ。

やっぱりみんな、アメリカ行くんやなあ。

 

 

自分の地位、立ち位置に安住せず、むしろ危機感を感じて自分を磨くために渡米。

それは渡辺直美さんが目指す「エンターテインメント」の聖地だったからだと言っていた。

たしかにそうだよな。

自分が「この道だ」と決めた道を究めるのに、その本場で学びたいというのはもっとも。

 

 

アメリカで挑戦を続ける姿が今後も楽しみやなあ。

 

 

ついでに、昨日は「感染症の最前線に立つ」偉人の方がテレビに出ておられた。

(すみませんお名前また調べます・・・)

 

その方のお話もおもしろかったなあ・・・

また続きで書きます!

 

 

進路選択について

実はこの前、クラス通信を書きました。

その内容をここにも抜粋してみます。

 

 

 

私は学生のとき、「進路、進路」「将来を考えろ」「進路はどうするんだ」そうやって学校の先生に聞かれて迫られるのが嫌いでした。

 「そんなこと言われたって、わかるかいな。」「どんな仕事が向いてるかなんて、知るかいな」「先生が教えてくれよ」と思っていました。「高校に入学したばっかで、なんで進路やねん。自分がどんな人間かもわかってへんのに、進路なんてもっとわからへんわ。」そう思っていました。

 そこで私がそんなふうに悩む若者にできることは何やろう?と考えたとき、一つのロールモデルとして、わたしが自分の進路をどう決めたのかをかなり赤裸々に語ろうと思いました。人間が自分の進む道を決めるとき、どうやって決めるのか、そしてどう進んだ人がいるのか。それは少しは参考になるのではないかと。

※注意

 人の体験談が自分に全く当てはまる、役に立つということは人生でほぼありません。(人の過去の恋愛話を聞いてそのとおり真似しても、自分の恋愛には全く役に立たないことがあるのと同じです。)だから「ああ、こういうケースもあるんだな」ぐらいに聞いてください。

 

*わたしの進路決定

幼少期~小学生時代

これを話すには私の幼少期から振り返らないといけません。私は父(公務員)母(専業主婦)のもとで一人っ子として生まれました。赤ちゃんの頃は大人しく育てやすい子だったと母は言います。幼稚園の頃も大人しく、砂場で貝殻を探すのと絵を描くのが好き(一人行動が得意)でした。小学校に入学し、平凡な小学校生活を送ります。小学校時代よく思っていたことは「可愛い子はいいな」「運動神経の良い子はいいな」「人気者はいいな」。自己中だったので友達は少なく、クラスでは比較的浮いているタイプでした。(当時から変わっていた)そのときに、「もっとみんなに好かれる人間になりたいなあ」「もっと友達の中心でわいわいする人間になりたいなあ」とぼんやり思っていました。運動もダメだし可愛いわけでもないし性格も悪いけど、得意だったのは「勉強」と「絵を描くこと」でした。当時流行っていたアイドルの絵を描いてはクラスの友達に「ちょうだい」と言われて渡していました。喜んでもらうことが嬉しくて「自分にも取り柄がある!」と思った感覚を覚えています。

 

 

暗黒の中学時代

 中学校は特に受験などせず近隣の公立中学に入学。これがとてつもない学校だった。

他の学区から来る子どもたちは今まで仲良くしてきた子たちと違う、いわゆる「不良」

授業中にチョーク投げるわ消火器振り回すわ、髪の毛染めてる先生殴る、シンナー吸ってる他校の不良と仲良くしてる。衝撃でした。怖かった。でもそこでも仲のいい友達はできた。美術部でこっそり絵を描いてひっそり生きていました。相変わらずクラスの中心は程遠い。そしてその荒れ放題の学校で過ごし、「このままこの友達と同じ学校にいくのは嫌だ」と受験を決め、推薦で総合学科の公立高校に入学。英語が得意で、将来は英語を使った仕事に就きたいなとぼんやり考えていました。

 

濃厚な高校時代

 高校で私は変わった、気がする。まず、「高校野球」にドはまりした。今も活躍する田中将大選手が当時高校球児として甲子園をにぎわせ、あっという間に高校野球ファンに。高校に入って「マネージャーしたいなあ」と思うものの勇気が出ず、見学に行ったが諦めようとした。するとそこで先に見学にきていた同級生2人が先にマネージャーとして入部した。それを見た途端、「悔しい!!!」と思った。私もなりたい。私もやりたい。けどその2人、私とは真逆のギャル。完全なる陽キャラ。(すみません、差別するつもりではないです)普通なら諦めますよ?だって2:1、女の奇数グループは揉めるしややこしい。でも家に帰って「わたしもやりたい!!!」って大泣きしたらしい。(母いわく)そして飛び込みました、野球部に。そこではキラキラした「高校野球の世界」とは違う世界が広がっていた。

 

実際に内側から見た高校野球

 まず、高校野球の世界で華やかな舞台に立つ人間は「ほんの一部だ」ということを痛感した。弱小公立高校野球部だったので、甲子園はおろか、練習試合でも勝てない。もちろん公式戦でも勝てない。(初戦突破がいいところだった)高校野球の世界は「報われる機会がほとんどなくて、そして練習時間がどの部活より長く、土日ももちろん拘束される世界」だった。「かっこいい!!」と思って憧れた田中将大は、いない。たしかに先輩はかっこいい。けれど、勝てない。でも自分はマネージャー。プレーヤーではない。自分でどうしようもない。当時の私に、「選手が勝てるにはマネージャーとして何ができるか?自分で考えよう」という発想がない。とりあえず自分には何もできないし、理想と違ったし、どうしよう。と思っていた。

 

急降下した成績

 そして、部活三昧に明け暮れた私に天罰が下る。成績が急降下したのだ。中学時代はほとんど4か5だった通知表。いつの間にか学年の真ん中くらいの成績になった。「これは、まずい!」直感だった。「このまま部活も中途半端、成績も下がり続ける、相変わらずクラスの中心から遠い、そんなのは嫌!」と思った。そこから猛勉強を始めた。

 

「部活を、やめたい」

しかし…勉強なんてする時間が、ない。だって6:45から朝練、19:00まで練習、帰ってご飯食べて寝て起きてまた朝練、土日はもちろん一日練習か一日試合。どこに勉強する暇があるのか。そう思った私は、監督に部活をやめたいと申し出たが、一蹴された。「時間は無いのではなく、作るものです」と言われたらしい(母が監督に電話した)。

そこで「じゃあ作りますよ。」と思い、寝る・食べる以外の時間をすべて勉強に費やした。すると成績が学年で10番くらいになった。「やればできるやん」先生に褒められるのも、一目置かれるのも心地よかったし、何より「学ぶ」ことが面白かった。いつも一番前の席で、わからないことがあったら授業の途中でも「先生、今のどういうことですか?」と質問した。わからないままのことがあったら放課後職員室に行き、先生に質問しまくった。わからないことがどんどん分かる、できないことがどんどん出来る、その快感がたまらなかった。そのうち先生と話すのが好きになった。職員室の居心地がよかったし、先生たちはとても楽しそうに働いていた。昔から同世代と話しても浮いていたし、年上と話すほうが色々教えてもらえるし面白いなと思った。そこでなんとなく「先生っていいなあ」と思った。

 

夢が決まる

 そして「先生になる」という夢ができた。「先生になるには、どうすればいいですか?」と先生に聞いた。そしたら「国公立大学出身のほうが、教員採用試験に受かりやすいんとちゃうか」と言われた。その瞬間から私は「国公立に行く」ためにすべてを捧げた。

 私が通っていた高校は、偏差値48で、いわゆる中の下。難関私立や国公立なんて、無縁。けど先生は言った。「関関同立は滑り止め、国公立を第一志望で、いけます」と。(三者面談で母は口を開けたままだった。)

 私は、「信じてくれる先生を絶対に裏切りたくない」と思った。「絶対に受かって見せる」そう決めて、それまで以上に勉強した。テストの点はオール95点が目標。この学校で一番になったって、国公立に受かる保証はない。必死だった。

 正直マネージャーは、やめてもよかったかもしれない。でも、「どちらかを諦めて選ぶ」ことが逃げみたいに思えて、できなかった。「どっちもやってやる!」半ば意地だった。

みるみる模試の成績が上がって、高3の夏の時点で志望校の判定がCまで上がった。先生が言った「関関同立は滑り止め」が現実になろうとしていた。

 

だれのための勉強?

 でもその頃はプレッシャーで押しつぶされそうになっていた。友達は公募制推薦や指定校推薦で進学を決めていく。「わたしも、国公立受験諦めて、私立でいいから推薦受けたい」と学年主任だった先生に言った。そしたら「あきらめるな!お前は学年のトップ。俺らの星。マラソンランナーが途中であきらめてどないするねん!」と言われた。もう限界だった。勉強が苦しくてたまらなかった。そのとき、すごく大好きでお世話になっていた国語の先生に同じ相談をした。すると先生は、わざわざメールをくれた。そこにはこう書いていた。

「僕は、頑張っている人に頑張れ、とは言いません。それは、頑張っている人に失礼だと思うからです。そして僕は君がとても頑張っていると思います。だから君に、『頑張れ』とは言いません。」と。

 

涙が次から次にこぼれて止まらなかった。「頑張らなくてもいいよ」その一言が、どれだけ沁みたか。どれほど救いになったか・・・。そしてそのメールはこう続いた。

「先生方が君にどんな期待をかけようと、またどんな風に言おうと、君の将来は君だけのモノです。君が納得のいく選択をすべきであり、周囲のために自分を曲げる必要はないんだよ。君のこれからの人生は、君自身が背負っていくものなのだから、胸を張って君のしたいようにして良いのです。

その上で、どこの大学を選ぼうとも、どんな道を歩くとしても、ぜひとも忘れないでいて欲しいことがあります。それは『学ぶ』ということの意味を知って欲しいということです。

僕たちは多くのことを知りません。知らないということにすら、気づいてないことが多いのです。僕は高校時代、大学受験のために勉強していくなかで、自分がどんなに多くのことを知らなかったかということに、気づく糸口をもらったように思います。

大学に入ってから、そして大学に出てから、実に多くの知らないことに出会いました。今でもそうです。「学ぶ」ことに終着地点なんてありません。僕は、君にもぜひその感覚を味わってほしいと思うのです。

受験勉強は所詮、受験勉強でしかありません。

けれど、一生に一度くらい、これ以上ないと思うくらい勉強に力を入れてみるのもいいものです。

勉強は追いかけ回されても楽しくありません。

本当はとても刺激的で、こんなにもワクワクするものはないのです。

進路選択をどうするか、ということは、今は少し置いておいてもいいのではなないですか。

結論は、いずれ時が来たときに出せば良いことです。

 

では、また学校で」

 

私はこのメールを受け取ったとき、「自分もこんな風に、迷える若者に手を差し伸べる存在になりたい」と思い、教師になると決めました。

そして今、みんなに伝えたいことがあります。

「あなたの未来は、あなたが背負っていくものだから、自分の納得のいく選択をすべきだ」ということです。

進路選択は、誰かに迫られて決めるものじゃなく、自分で決めるものです。誰かに指示されてその通り生きるのは、自分の人生じゃありません。他人の人生です。

 

どう生きたいかわからない?どんな進路選択がいいかわからない?それなら、探してみてください。自分がどんなことが好きなのか、得意なのか、どんな人生を生きたいのか、考えて想像してください。「お金を稼ぐ手段が仕事である」「生きる手段が仕事である」という考え方もあると思います。でも私は別の答えもあると思います。それは「自分ができること、やりたいことを精一杯見つけて追いかけて、それを通して社会や誰かに貢献すれば、勝手にお金はついてくる」という考えです。

たとえば、どんな人を見て憧れますか?

何をしているとき、自分らしいと思いますか?

何をしているとき、心から楽しくて没頭できますか?

 

私は「先生って楽しそう!」という好奇心からこの仕事を志し、気づいたら今に至ります。

人間は案外、「こうしたい」「ああなりたい」と言って生きていればその通りになるもんだなと思っています。夢のほうから現実に近寄ってきてくれるのです。

 

 

 

光を灯す存在になりたい。

 

わたしが教員になろう、と思ったのは

すごく単純な理由でした。

「たのしそう!」というものです。

 

子供は正直で素直で、とんでもない事を言い出したり

個性豊かでとても面白い存在です。

そんな子供たちと関わるのは、利害関係のある大人同士の付き合いでは得られない喜びがあります。

もちろんすべての大人同士の付き合いが利害関係でドロドロしているわけじゃないけど、

教師に対する子供たちはほんとうに素直でいろんなことをぶつけてきます。

 

そんな姿を見ていると、

一人でも多くが幸せに生きてほしい

生まれてきてよかったと思える生き方をしてほしいなと思います。

 

 

けど、そのためにどうしたらいいのか?

「規則で子供たちを縛る」

「成績を上げる努力をさせる」

それらに意味があるとどうしても思えない自分がいる。

けど学校教育はそれらを今も子供たちに行っている。

自分の想いと学校制度のありかたの矛盾。

わたしはどうしたらいいのか?

ずっと悩んできました。

 

子供が生き抜く力を育てる教育…。

答えが見つからないままです。

でも私がいつも思うのが

「考えを押し付けたり枠にはめ込んだりしないし、したくない」

ということです。

 

子供たちには自由に柔軟な発想をしてほしい。

押さえつけられた抑圧の中を生きるのではなく。

そのためには「否定しないこと」を心がけています。

「それは違う」「あれはダメ」「これもダメ」

そういわないように・・・・(してるつもりだけど言ってるw

 

中々難しいけど。