考える葦の足跡

教育やその他趣味雑事、人生全般についての考え事記録

進路選択について

実はこの前、クラス通信を書きました。

その内容をここにも抜粋してみます。

 

 

 

私は学生のとき、「進路、進路」「将来を考えろ」「進路はどうするんだ」そうやって学校の先生に聞かれて迫られるのが嫌いでした。

 「そんなこと言われたって、わかるかいな。」「どんな仕事が向いてるかなんて、知るかいな」「先生が教えてくれよ」と思っていました。「高校に入学したばっかで、なんで進路やねん。自分がどんな人間かもわかってへんのに、進路なんてもっとわからへんわ。」そう思っていました。

 そこで私がそんなふうに悩む若者にできることは何やろう?と考えたとき、一つのロールモデルとして、わたしが自分の進路をどう決めたのかをかなり赤裸々に語ろうと思いました。人間が自分の進む道を決めるとき、どうやって決めるのか、そしてどう進んだ人がいるのか。それは少しは参考になるのではないかと。

※注意

 人の体験談が自分に全く当てはまる、役に立つということは人生でほぼありません。(人の過去の恋愛話を聞いてそのとおり真似しても、自分の恋愛には全く役に立たないことがあるのと同じです。)だから「ああ、こういうケースもあるんだな」ぐらいに聞いてください。

 

*わたしの進路決定

幼少期~小学生時代

これを話すには私の幼少期から振り返らないといけません。私は父(公務員)母(専業主婦)のもとで一人っ子として生まれました。赤ちゃんの頃は大人しく育てやすい子だったと母は言います。幼稚園の頃も大人しく、砂場で貝殻を探すのと絵を描くのが好き(一人行動が得意)でした。小学校に入学し、平凡な小学校生活を送ります。小学校時代よく思っていたことは「可愛い子はいいな」「運動神経の良い子はいいな」「人気者はいいな」。自己中だったので友達は少なく、クラスでは比較的浮いているタイプでした。(当時から変わっていた)そのときに、「もっとみんなに好かれる人間になりたいなあ」「もっと友達の中心でわいわいする人間になりたいなあ」とぼんやり思っていました。運動もダメだし可愛いわけでもないし性格も悪いけど、得意だったのは「勉強」と「絵を描くこと」でした。当時流行っていたアイドルの絵を描いてはクラスの友達に「ちょうだい」と言われて渡していました。喜んでもらうことが嬉しくて「自分にも取り柄がある!」と思った感覚を覚えています。

 

 

暗黒の中学時代

 中学校は特に受験などせず近隣の公立中学に入学。これがとてつもない学校だった。

他の学区から来る子どもたちは今まで仲良くしてきた子たちと違う、いわゆる「不良」

授業中にチョーク投げるわ消火器振り回すわ、髪の毛染めてる先生殴る、シンナー吸ってる他校の不良と仲良くしてる。衝撃でした。怖かった。でもそこでも仲のいい友達はできた。美術部でこっそり絵を描いてひっそり生きていました。相変わらずクラスの中心は程遠い。そしてその荒れ放題の学校で過ごし、「このままこの友達と同じ学校にいくのは嫌だ」と受験を決め、推薦で総合学科の公立高校に入学。英語が得意で、将来は英語を使った仕事に就きたいなとぼんやり考えていました。

 

濃厚な高校時代

 高校で私は変わった、気がする。まず、「高校野球」にドはまりした。今も活躍する田中将大選手が当時高校球児として甲子園をにぎわせ、あっという間に高校野球ファンに。高校に入って「マネージャーしたいなあ」と思うものの勇気が出ず、見学に行ったが諦めようとした。するとそこで先に見学にきていた同級生2人が先にマネージャーとして入部した。それを見た途端、「悔しい!!!」と思った。私もなりたい。私もやりたい。けどその2人、私とは真逆のギャル。完全なる陽キャラ。(すみません、差別するつもりではないです)普通なら諦めますよ?だって2:1、女の奇数グループは揉めるしややこしい。でも家に帰って「わたしもやりたい!!!」って大泣きしたらしい。(母いわく)そして飛び込みました、野球部に。そこではキラキラした「高校野球の世界」とは違う世界が広がっていた。

 

実際に内側から見た高校野球

 まず、高校野球の世界で華やかな舞台に立つ人間は「ほんの一部だ」ということを痛感した。弱小公立高校野球部だったので、甲子園はおろか、練習試合でも勝てない。もちろん公式戦でも勝てない。(初戦突破がいいところだった)高校野球の世界は「報われる機会がほとんどなくて、そして練習時間がどの部活より長く、土日ももちろん拘束される世界」だった。「かっこいい!!」と思って憧れた田中将大は、いない。たしかに先輩はかっこいい。けれど、勝てない。でも自分はマネージャー。プレーヤーではない。自分でどうしようもない。当時の私に、「選手が勝てるにはマネージャーとして何ができるか?自分で考えよう」という発想がない。とりあえず自分には何もできないし、理想と違ったし、どうしよう。と思っていた。

 

急降下した成績

 そして、部活三昧に明け暮れた私に天罰が下る。成績が急降下したのだ。中学時代はほとんど4か5だった通知表。いつの間にか学年の真ん中くらいの成績になった。「これは、まずい!」直感だった。「このまま部活も中途半端、成績も下がり続ける、相変わらずクラスの中心から遠い、そんなのは嫌!」と思った。そこから猛勉強を始めた。

 

「部活を、やめたい」

しかし…勉強なんてする時間が、ない。だって6:45から朝練、19:00まで練習、帰ってご飯食べて寝て起きてまた朝練、土日はもちろん一日練習か一日試合。どこに勉強する暇があるのか。そう思った私は、監督に部活をやめたいと申し出たが、一蹴された。「時間は無いのではなく、作るものです」と言われたらしい(母が監督に電話した)。

そこで「じゃあ作りますよ。」と思い、寝る・食べる以外の時間をすべて勉強に費やした。すると成績が学年で10番くらいになった。「やればできるやん」先生に褒められるのも、一目置かれるのも心地よかったし、何より「学ぶ」ことが面白かった。いつも一番前の席で、わからないことがあったら授業の途中でも「先生、今のどういうことですか?」と質問した。わからないままのことがあったら放課後職員室に行き、先生に質問しまくった。わからないことがどんどん分かる、できないことがどんどん出来る、その快感がたまらなかった。そのうち先生と話すのが好きになった。職員室の居心地がよかったし、先生たちはとても楽しそうに働いていた。昔から同世代と話しても浮いていたし、年上と話すほうが色々教えてもらえるし面白いなと思った。そこでなんとなく「先生っていいなあ」と思った。

 

夢が決まる

 そして「先生になる」という夢ができた。「先生になるには、どうすればいいですか?」と先生に聞いた。そしたら「国公立大学出身のほうが、教員採用試験に受かりやすいんとちゃうか」と言われた。その瞬間から私は「国公立に行く」ためにすべてを捧げた。

 私が通っていた高校は、偏差値48で、いわゆる中の下。難関私立や国公立なんて、無縁。けど先生は言った。「関関同立は滑り止め、国公立を第一志望で、いけます」と。(三者面談で母は口を開けたままだった。)

 私は、「信じてくれる先生を絶対に裏切りたくない」と思った。「絶対に受かって見せる」そう決めて、それまで以上に勉強した。テストの点はオール95点が目標。この学校で一番になったって、国公立に受かる保証はない。必死だった。

 正直マネージャーは、やめてもよかったかもしれない。でも、「どちらかを諦めて選ぶ」ことが逃げみたいに思えて、できなかった。「どっちもやってやる!」半ば意地だった。

みるみる模試の成績が上がって、高3の夏の時点で志望校の判定がCまで上がった。先生が言った「関関同立は滑り止め」が現実になろうとしていた。

 

だれのための勉強?

 でもその頃はプレッシャーで押しつぶされそうになっていた。友達は公募制推薦や指定校推薦で進学を決めていく。「わたしも、国公立受験諦めて、私立でいいから推薦受けたい」と学年主任だった先生に言った。そしたら「あきらめるな!お前は学年のトップ。俺らの星。マラソンランナーが途中であきらめてどないするねん!」と言われた。もう限界だった。勉強が苦しくてたまらなかった。そのとき、すごく大好きでお世話になっていた国語の先生に同じ相談をした。すると先生は、わざわざメールをくれた。そこにはこう書いていた。

「僕は、頑張っている人に頑張れ、とは言いません。それは、頑張っている人に失礼だと思うからです。そして僕は君がとても頑張っていると思います。だから君に、『頑張れ』とは言いません。」と。

 

涙が次から次にこぼれて止まらなかった。「頑張らなくてもいいよ」その一言が、どれだけ沁みたか。どれほど救いになったか・・・。そしてそのメールはこう続いた。

「先生方が君にどんな期待をかけようと、またどんな風に言おうと、君の将来は君だけのモノです。君が納得のいく選択をすべきであり、周囲のために自分を曲げる必要はないんだよ。君のこれからの人生は、君自身が背負っていくものなのだから、胸を張って君のしたいようにして良いのです。

その上で、どこの大学を選ぼうとも、どんな道を歩くとしても、ぜひとも忘れないでいて欲しいことがあります。それは『学ぶ』ということの意味を知って欲しいということです。

僕たちは多くのことを知りません。知らないということにすら、気づいてないことが多いのです。僕は高校時代、大学受験のために勉強していくなかで、自分がどんなに多くのことを知らなかったかということに、気づく糸口をもらったように思います。

大学に入ってから、そして大学に出てから、実に多くの知らないことに出会いました。今でもそうです。「学ぶ」ことに終着地点なんてありません。僕は、君にもぜひその感覚を味わってほしいと思うのです。

受験勉強は所詮、受験勉強でしかありません。

けれど、一生に一度くらい、これ以上ないと思うくらい勉強に力を入れてみるのもいいものです。

勉強は追いかけ回されても楽しくありません。

本当はとても刺激的で、こんなにもワクワクするものはないのです。

進路選択をどうするか、ということは、今は少し置いておいてもいいのではなないですか。

結論は、いずれ時が来たときに出せば良いことです。

 

では、また学校で」

 

私はこのメールを受け取ったとき、「自分もこんな風に、迷える若者に手を差し伸べる存在になりたい」と思い、教師になると決めました。

そして今、みんなに伝えたいことがあります。

「あなたの未来は、あなたが背負っていくものだから、自分の納得のいく選択をすべきだ」ということです。

進路選択は、誰かに迫られて決めるものじゃなく、自分で決めるものです。誰かに指示されてその通り生きるのは、自分の人生じゃありません。他人の人生です。

 

どう生きたいかわからない?どんな進路選択がいいかわからない?それなら、探してみてください。自分がどんなことが好きなのか、得意なのか、どんな人生を生きたいのか、考えて想像してください。「お金を稼ぐ手段が仕事である」「生きる手段が仕事である」という考え方もあると思います。でも私は別の答えもあると思います。それは「自分ができること、やりたいことを精一杯見つけて追いかけて、それを通して社会や誰かに貢献すれば、勝手にお金はついてくる」という考えです。

たとえば、どんな人を見て憧れますか?

何をしているとき、自分らしいと思いますか?

何をしているとき、心から楽しくて没頭できますか?

 

私は「先生って楽しそう!」という好奇心からこの仕事を志し、気づいたら今に至ります。

人間は案外、「こうしたい」「ああなりたい」と言って生きていればその通りになるもんだなと思っています。夢のほうから現実に近寄ってきてくれるのです。