勝手にふるえてろ
本日見たのはこちら👆
という小説の映画。
なかなか、この映画・・・
胸をえぐられるような感じが、する。(語彙力ないな。笑)
主人公が脳内妄想によって恋していた同級生「イチ」は
再会を果たしたものの
なんと
自分の名前すら憶えていなかった。
こりゃ、きつい(笑)
現実で、リアルに人と関わることを恐れ、避けて
勝手に自己都合ででっちあげた恋人「イチ」
これ、けっこう現代のあるあるじゃないのかな。
主人公が、脳内妄想でつくりあげていたのは「イチ」だけじゃない。
コンビニの店員さん、よく使う駅の駅員さん、
釣りをするおじさん、カフェの店員さん。
脳内妄想では、軽やかに、和やかに、その人たちとの会話を繰り広げられる。
でも、現実はちがう。
自分は、誰にも名前を知られず、認識すらされていない
「透明人間」のように感じ、絶望する。
そして、「化石」のように、「絶滅すべきでしょうか」
と、叫ぶ。
これ、わかる。
何度も新着メール問い合わせをするシーンがあって、
何度更新しても誰からも連絡が、ない。
これも、わかる。
「誰にもコンタクトをとってもらえない自分」=「孤独」
「誰にも求められてない自分」=「ひとりぼっち」
そうして絶望しちゃう。
けどこれ、今わたしが観て思うのは、
「自分から連絡すればいいんじゃん!」
結局この主人公ヨシカ(24)女性、
いつも会う人々に話しかけない理由は
「わたしが話しかけたって迷惑でしょ」
っていうような
勝手な被害妄想というか。
そういうので、話しかけられないんだけど、
結局周りも、自分から話しかけたり連絡とろうとしても
「ん?わたしからの連絡なんて、嫌がるかな?」
なんて思っちゃって連絡できないんじゃないのか、って。
だから、
人からしてほしいなら、
人から連絡がほしいなら、
自分からしなきゃ。自分から関わらなきゃ!って
観てて何となく感じた。
おもしろい映画だったけど
リピートはしない、かな。。。
スカッとする!というよりは
う~~~~~~~ん え~~~~~え~~あ~~~
そうなっちゃうの!?!?!?!?!?!?
ちょっとこじらせすぎてない!?!?!
って観ててなっちゃったかも(笑)
自己否定、自己卑下、って
結局、自分にベクトル向きすぎてるからなっちゃうわけで
そういう自己肯定感の低さによるコミュニケーション不全てのは
周りがどうにかしてくれることじゃ、ない。
「かわいそうだね?」って手を差し伸べられるの待ってちゃ、ダメなんじゃない?
って思う。
だから主人公が最後、
なんのかんの、現実世界での人とのかかわりに傷ついたのち、
自分を思ってくれる男にキスをするってのは
ある種の希望であり、この主人公の成長なのかな、と思った。
綿矢りささんは「かわいそうだね?」って本しか読んだことないけど
現代女性のリアルな姿を描くのがすばらしく上手いな。
こういう時期を経て、
もっと周りにベクトルを向けられるようになれば
生きやすく、軽やかな人生になるのかな。
そう感じさせられる、若い時期特有の、
苦しくもがいたある意味の自分至上主義時代のお話だった。